月別アーカイブ: 2011年3月

東日本大震災その4

3月19日の青葉区中心部の様子です。

藤崎さん
藤崎さん前の行列

三越さん
三越さん前の行列

勾当台公園
勾当台公園でお米の販売が行われていました。新聞に告知されていましたから当方は知っていましたが、知らない人は露店の割高のお米を買われていたかもしれませんね。

仙台朝市
仙台朝市は人が溢れていました。

仙台マルシェ
仙台マルシェは開店時だけ混雑していましたが後は並ばずに買い物ができました。

いろは横丁
壱弐参(いろは)横丁の八百屋さんが穴場で並ばずにお安く購入できていたようです。

国分町
藤崎さん三越さんが行列をなしている時に、国分町では野菜や缶詰、たまご等の路地売りがあちこちにあり、短時間で購入できました。

写真はありませんが、皆様ご承知のように「ダイエー仙台店」が連日休みなく販売を続けられ、従業員の方々は大変であったと思いますが称賛に値する立 派な企業姿勢だと感じました。一方で地元企業こそ頑張らなければならないときに休んでいた●●にはがっかりでした(被害の程度に差はあれど)。

このたびの災害で認識を新たにしたことですが、大手「コンビニ」「ファーストフード」は災害に弱い、ということです。こんな時こそ力を発揮しそうな ものなんですが、コンビニはほんの数店が一時開店する程度、ファーストフードのマクドナルド、スタバ等は全く開く気配がありません。大手飲食店で早期から 再開して頑張っていたのは「なか卯」「ドトール」「CoCo一」「ミスド」ですね。

東日本大震災その3

3月13日の八乙女駅周辺地区の様子です。13日は食料の仕入れに「BigHouse泉店」と「モリヤ加茂店」(3/17で閉店)に並びました。

商品は限られていましたが、ほぼ毎日店頭販売していました。

BigHouse泉店さん
BigHouse泉店さん

モリヤさん
モリヤさんは頑張って毎日店頭販売してくれていましたが3/17に完全閉店となりました。

ホーマックさん
ホーマック泉店さん かなり瓦礫が積まれていましたが、連日店頭販売していました。

ヨークベニマルさん
13日は店頭販売をしていたヨークベニマル真美沢店さん。その後は営業していなかったような?

八乙女周辺では地下鉄八乙女駅が相当被害があったようで、地下鉄はおろか橋梁下道路まで全面通行止めになってしまいました。

八乙女駅周辺
八乙女駅橋下道路は通行止め

地下鉄八乙女駅3番入口 地割れ陥没
地下鉄八乙女駅3番入口 地割れ陥没

八乙女駅支柱の陥没
八乙女駅支柱の陥没

3/25河北新報 朝刊によると、

  瞬間的な揺れの強さの目安となる加速度は、八乙女駅の地震計で1149.9ガルを記録し、阪神大震災で観測された818ガルを上回った。同じ地上駅の富沢駅(太白区)は約3分の1の389.6ガルで、南北間の差が被害の有無に直結した

ということで、被害の大きさも頷けます。

八乙女地区は地盤が弱いんでしょうか?住んでおられる方が気の毒で写真は撮りませんでしたが、外壁がかなり崩れたマンションも多くまた地割れも多いような気がしました。水道管が破裂して水が地面から溢れていたところもありました。

八乙女駅横のビル入口
八乙女駅横にあるビルの入口もひどい状態になっていました。

以下はその他の周辺の様子です。

泉八乙女郵便局さん
泉八乙女郵便局さん 2階のガラス割れ

ファミリマート真美沢店さん ガラス割れ
ファミリーマート真美沢店さん ガラス割れ

TOTO社さん
TOTO社さんはショーウインドウのガラス割れ

焼肉東山さん
焼肉ひがしやまさんは広告塔が折れて屋根に乗っていました。

以下は15日に撮影したものですが、泉中央界隈では早くからイトーヨーカドーさん、ダルマ薬局さん、COOP野村店さん、やまやさんが頑張っていました。

イトーヨーカドーさん
イトーヨーカドー泉店さん

だるま薬局さん
地元企業として連日頑張っていたダルマ薬局泉中央店さん

 

東日本大震災その2

災害が有るときには町内会が機能するものです。

東日本大震災その2-1

 

以前、町内会の活動に積極的に参加していたことがあるため、それを知っています(町内会によって差はありますが)。

3月12日の日中、近くにある「みずほ台集会所」を覗いてみました。

やはり避難者が70名程度おられ、町内会の幹部と思われる方々が自発的に避難所対応(暖房や炊き出し)をされていました。町内会やご近所の方々が自 宅にある食材を持ち寄って(当方は野菜とお米を提供しました)炊き出しを行い、当方も2回ほど炊き出し(パン、おかゆ)をいただきました。

更に「ここは水がでるから給水できるよ。この辺の住宅は断水していないようだ」とのこと。なんと天の恵!早々やかんやポットを持参して給水していただきました(マンションの場合、停電していると給水タンクが稼働しないため水が出ないんですよね)。

当然この情報はあっという間に拡がり、毎日こちらには給水の行列ができるようになりました。またすぐ側にある公園の水道も出ることが分かり、そちら にも車と人の行列、更に隣接するマンションの水道管からも給水協力などもあり、電気が復旧した3月14日まで正に水のある「みずほ台」になっていたので す!

東日本大震災その2-2

 

行政の広報や告知には一度も避難所として告知(認知)されることはありませんでしたが、立派に避難所として機能していました。町内会そして自発的に参加しておられたボランティアの方々、お世話になりました!